ゆさんの日記

醜形恐怖症、非定型鬱病の22歳、頑張ります。

いい家庭と美人の法則

 

突然テレビが壊れた。

画面下部分が何故かブレてしまう。

私がテレビをそのままにして洗面所に行っている間、突然。

 

それを帰宅してから母に伝えると

「お前が壊した」

と言われた。

 

いやいや、私だって突然すぎてどうして壊れたのか分からないよ と言っても

「ぶつかって壊したんだろ」

と絶対に自分が正しい。お前が悪いの一点張りにされた。

あまりに腹が立ったから、私のせいにしたところでそれは嘘なんだからなにも解決しない、そして今すごく気分が悪くなったから勝手に犯人扱いしたことを謝ってほしいと伝えたけれど、

頑なに謝ってはくれなかった。

犯人だと思うような事(私が家でテレビを見ていた事)をする方がいけないんだって。

びっくりした。

やっぱり何年経っても毒親は慣れない。

 

テレビで映るのはいつだって良い親。

そして親孝行をする子供。

親孝行してくれて嬉しそうな親。

それも、さも「こんなん普通でしょ?」みたいなムードで言うから、誰だってあれが普通だと思う。家族ってそういうものだよねって思う。私だって思う。多分うちも、こんな感じだった気がするって。

 

でも意外と毒親って少なからず存在してて、

うちはそんな事ないと信じてたけど、親と居るとなんか辛い、癒されない、落ち着けない、ストレスが溜まる、

ああ、私の両親、毒親なのかもしれない。

そうやって感じちゃうとね、もうそこからどんどん見えてくるの。

 

学生の頃、お弁当なんてろくに作ってくれなかったな。

どんなに帰りが遅くなろうが、車で駅までお迎えになんて一度も来てくれなかったな。

親子キャンプ、当たり前のように私はひとりで参加してたな。

普通、DVを5歳の娘の前でしないよな

刃物を晒したり、火を晒したり、普通しないよな。

 

「そんな親離れれば良い」って簡単に言うけど、その前にもう何年も何年も何年も刷り込まれてきた「親子像」があるわけ。あれ、もしかして毒なのは私なのかもしれない、私がいけなかったのかもしれない。今までの人生全て、私の行動ミスかもしれないって。なるでしょ、生き方を教えてくれる(はずの)人間が、まさか悪い人だなんて思いたくないでしょ。

 

その時に精神科の先生は「あなたが居て辛くないところで過ごしたいね」と言ってくれて、幸いにも職場は本当に居心地が良かったから、今は極力家に居ないで、家族とはあまり接しない時間配分を組んでひたすら仕事に明け暮れる。

 

でもね、一度でいいから「普通の家庭」を味わってみたいのよ。もしかしたら、今日は帰ったら親がすこぶる機嫌がよいいかもしれない。そしたら今日あったことを話そう。今日の仕事も疲れたけど、褒められたんだよ、凄いでしょうって。

実際は、どんなに都合のいい言葉だって分かってても「あなたが居ないとダメだわ」なんて言われた暁には速攻酔いしれるから、今日も都合の良い娘を演じるよ〜。

 

そんな「普通の事」さえ不足してるの、それなのに私は更にあれもこれも、足らないことに気づいちゃうの。

身長が低くて服が着こなせない

声が可愛くない

鼻がでかくて丸い

目が小さくて一重で奥まっていて睫毛が短い

歯並びが悪い

顎がない

眉毛の生え方が汚い

毛穴がでかい

おでこが狭い

人中が長い

 

家族のせいにだけしてないで、欠点があるのは私なんです。だから、見た目が醜い自分が許せない。

 

 

さて、“それなのに”って話をしますね。

事実がどうかはさておき、さも普通のように親の話をして、父の日母の日を穏やかに過ごして、それでいてとても綺麗な顔をした子が居たとします。居るんです。というか、美人は大体育ちが良いよな。

もう、泣き喚いて死にたくなるくらい憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて羨ましいんです。

もうどうしようもないんです。

どんなにいい子でも、私が死なないでいるにはその子の事をどうにかして恨んで嫌うしか、方法が見つからない。悔しい。

 

神はどうして二物も三物も与えるの、配分おかしいでしょ。

 

人間その人なりの生き方があるって言うけれど、生きていけるのは分かった。だがな、隣の芝生でこんなに穏やかに生きているやつが居るのを知りながら、私は一生そんな風には出来ないの、酷すぎるでしょ。

 

どうか、誰か毒親ではなくて普通の親をもつ方法を教えてください。

そしたら、もしかしたら私可愛くなるのかもしれないんです。

 

 

ブログ開設

 

毎日、仕事のひとつとして、ブログを書いている。

 

毎日毎日やっているのに、ふと「あ、ブログ書きたい」と思い出して書いてみる午前2時。

 

つい最近、私の推しが兵役から除隊して戻ってきた。入隊した日から毎日欠かさず日記を書いた。そしてSNSで毎日カウントダウンをつけた。

寝る前に欠かさず。

毎日寝る前に推しを思い出して、1日を振り返って書いた。

しんどかった時もあったのに、あっという間に終わってしまって身が軽くなりすぎてしまった。

言葉が有り余っている。私の伝えたいことが有り余っている。

 

そこでなんとなく、自分の溜めているものを吐き出す所として残しておきたいと思った。

TwitterでもInstagramでもFacebookでもきっと良かったんだけれど、敢えてブログとして書く。

汚いけれど、それなりに文章として、思い出として。

誰にも教えていないブログだからこそ、赤裸々に、正直に書こう。